日々のたんなる記録とか


by gilarmin
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十一月二十六日

久しぶりにたっぷりと寝ることができた。目覚めてすぐにフットサルの練習に行った。今日はいつもの大学内の体育館ではなく、以前よく利用していた豊里のほうにある市の体育館でやった。我が大学特有の秋休みという休みの初日だったからか何かよく理由はわからないが人数は少なく七人ほどであった。が、やはり楽しかった。帰ってきてからしばらくはギターを弾いていた。家に来ていた母方の客人に、すこし痩せたのではないか、と言われた。確かに今の風貌を見られるとそう思われるかもしれない。やはり不安定な睡眠がいけなかったのかな。

ところで。今日は少しだけ、自分の一年後、五年後、十年後を、つまり自分のこれからの将来について真剣に思いを巡らせてみた。僕が尊敬する、いやむしろ大好きな人に影響を受けて。遠い昔に思い描いていた、なりたかった自分にはもうなれないことはわかった。じゃあ今は何になりたいのだろうか?そう問いかけてみても答えは簡単に見つからない。いや、見つけたくないのかもしれない。そう、昔からそうだった。何か一つのことだけしかやらず、もしそれを何かしらの形で失ってしまうことに恐怖を覚えて一つのことに固執することをとても拒んでいた。ただ一つだけの道を自分の手で選び他の可能性を全て消して、閉ざしてしまうことに対する異常なまでの嫌悪感を感じて。他の未来が気になってしまうのである。だからいろいろなことに興味を覚えて、それらはみんな大好きで、実際に実践してきたがどれもひどく中途半端になっている気がする。なりたいものが、やりたいことが多すぎて、だけどどれも絶対にこれになりたい、といえるものでなくてただ漠然と、うやむやに現在を生きていた。その結果、自分にはこれができる、これだけは絶対人には負けないし、負ける気がしない、と大きな声で言えるものが残念ながらない。しかし、もはやモラトリアムも残すところ、予定では二年と少しになっていて、自分で、自分の責任で何かを決めなければならない。これからの二年で何かを掴み取ることはできるのか、それはわからない。でもこれからは何か一つのことに関して集中して真剣に取り組んでみて、何かしらの結果を貪欲に求めてみようと強く思っている。何かを極めたことによって、その高みからしか見ることのできないひとつの風景を見たいし、そこに少しでも近づくことができたらきっとそれはとても素晴らしいことだろうから。たとえそれが駄目であっても決して無駄になることなくむしろ得られるもののほうが多いはず、と心の底からようやく思えるようになってきた。そうすれば、百年、千年も前から変わらずに人々の心の中に存在してきた感情、自分は何を感じ、何に感動し、何に笑い、何に喜び、何を悲しみ、何を考え、何を思い、誰を想っていきたいのか、それに対する理想像はゆるやかな変化を交えつつ自分の中に確実に存在していて、そしてそこに近づいていける気がする。後にどんな職業に就いているかわからないが、どんな仕事を選んでいたとしてもその仕事を誇りには思っていたいし、そして、理想のこうでありたいと思い続けてきた、そのときから一年前、五年前、十年前の過去の自分に恥じないような人間でありたい。
そんなことをこの本格的な冬の足音が聞こえ始めた今宵、一人考えていた。
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by gilarmin | 2004-11-26 23:47 | 日記